芳根京子、出身と難病の関係 ライブドア事件父、ひきこもり兄について

プロフィール

芳根京子さん(1997/2/28~)は東京都杉並区の出身です。「京子」さんは本名で、「東京で生まれた」という意味で付けられています。北海道出身のお母様の東京への憧れと、仕事で日本(東京)を離れることの多かったお父様の望郷の想いがこめられているそうです。

日本酒好きで「毎晩」家族と晩酌を楽しむそうです。趣味は料理で、高校卒業後に進学はしておりませんが、いつか料理の専門学校に進みたいという夢があるそうです。ものごころついた時から頻繁に芸能界からスカウトを受けており、1日に複数回スカウトされることもあったそうです。高校時代は全校の男子生徒が芳根京子さんを一目拝みにくるほどの美少女の誉れ高かったそうです。身長は159cm、血液型はA型との情報です。

中2で難病ギラン・バレー症候群

芳根京子さんは中学2年生のとき(2011年頃)に、国指定の特定疾患ギラン・バレー症候群という難病を経験しています。運動神経に異常をきたす病気で、症状が進行すると、歩行困難や呼吸困難や嚥下障害になるそうです。芳根京子さんはその後完治しておりますが、闘病生活は1年にも及んだそうです。中学時代の1年間とは、気が遠くなるほどの長さだったと思います。

出典:https://utaea.com/post-279/

ギラン・バレー症候群といわれる有名人に、中村うさぎさん、大原麗子さん、安岡力也さん、フランクリン・ルーズベルトなどがいます。

高2で芸能界入り

文化祭の映画監督がトリガー

芳根京子さんは高1の文化祭(2013年頃)でクラスで映画を製作することとなり、そこで監督・脚本を務めました。『ちびまる子さん』というタイトルで、「ちびまる子ちゃんの20年後」という設定で、なぜか劇中にサザエさんのワカメちゃんも登場するという内容の作品でした。

この作品は文化祭の部門で堂々2位を獲得します。監督・脚本を自ら手掛けたこの経験から、芳根京子さんは演技にも興味を持つようになっていました。

運命のスカウト

その後友達に誘われ、現事務所の先輩にあたる遊助(上地雄輔)さんのライブにいき、スカウトを受けます。昔からすべてスカウトは断ってきた芳根京子さんでしたが、この時はちょうど演技に興味を持ったタイミングだったため、運命を感じて芸能界入りを決意します。

当時通学していた都立深沢高校は芸能活動がNGだったため、芳根京子さんはわざわざ高校2年時から通信制の東海大学付属望星高校に編入し芸能活動を開始します。

同様に都立深沢高校から芸能活動をするため他校に編入した芸能人には、吉高由里子さん、松岡茉優さんなどがおります。

デビュー翌年に朝ドラ出演

2013年「ラスト♡シンデレラ」で女優デビューします。

2014年「花子とアン」でNHK朝ドラデビューします。「花子とアン」ではヒロイン吉高由里子さんの友人役・仲間由紀恵さんの娘役を演じました。

2016年後期のNHK連ドラ「べっぴんさん」ではヒロイン出演を果たします。

実はオーディション嫌い

「オーディション荒らし」の異名を取りますが、本人は強く否定しており、実際「とと姉ちゃん」などは1次選考で落ちており、そもそも実はオーディションは大嫌いなのだそうです。

仲良しのお兄様

芳根京子さんには、高卒で社会人になっている5歳年上の仲良しのお兄様(1992/7/20~)がいます。お兄様の初就職のスーツや、家族の誕生日プレゼントなども一緒に買い物に行って選ぶ仲です。これまでお父様の誕生日にはクッキー、お母様の誕生日にはレイコップ、などをプレゼントしてきたようです。

芳根京子さんのブログ「芳根京子のキョウコノゴロ(https://ameblo.jp/yoshinekyoko/entry-12172437398.html)」にもよくお兄様は登場します。月に何度も一緒に食事に行っているそうです。

ライブドアショック後引きこもりに

このお兄様は家業の傾いた2006年以降、引きこもり気味になっていたことがあるようです。初めて就職したのも高校卒業後3年を経過した頃のようで、何か芸術家肌というか、繊細なところのある人物なのかもしれません。

出典:https://myfavoritetopics.net/archives/1327/2

お父様の苦境

2006~ライブドアショックで窮地

芳根京子さんのお父様は芳根聡さん(1960/4/5~)といいまして、業界では名の知れた有名人であり、当時売上2億円でJR東日本や日経新聞・BS放送などの番組制作を行う「スーパータンク」なる会社を経営していたそうです。「スーパータンク」社は当時ライブドア社と共同で広告事業を行っていましたが、2006年1月に、ライブドアに証券取引法違反が発覚すると「スーパータンク」社は窮地に陥ります。

ホワイトナイトとも離反

お父様・芳根聡さんはそこでなぜか、中途採用の求人広告を見て、プロジェクターやスクリーンのメーカー(株)オーエスの面接に臨みます。(株)オーエス社長の奥村正之さんは「スーパータンク」に2000万円出資し子会社化し、「スーパータンク」は救われたかのように見えました。

ところが、お父様・芳根聡さんは結局、元々異業種であった(株)オーエスの方針とは反りが合わず離脱をしてしまいます。折しも芳根京子さんのお兄様の不登校などが勃発したこともあり、芳根家は大変な状況だったようです。

お父様・芳根聡さんはそこで、芳根京子さんのお母様・千賀子さんの故郷でもある北海道へ飛び、アイヌの里に住み込んで農作業の手伝いをしたり、東京に舞い戻り郵便局でバイトをしたりして、母・妻・息子・娘の5人の世帯主として家族を支えます。

2012~杉並区で飲食店経営

紆余曲折の末、2012年頃に芳根京子さんお母様・千賀子さんの手料理を振舞う「天 よしねや」を営み、その後は高円寺南口西友近くで「art Bar Koenji 天」(東京都杉並区高円寺南3-46-3)や、阿佐ヶ谷のライブハウス「ASAGAYA 天」を経営したりしているそうです。単なる飲食店というより、ライブ演奏や地元の催事などもできる多目的スペースをプロデュースしているようです。

まとめ

2018年、土屋太鳳さんとW主演を務めた「累-かさね-」、および「散り椿」の演技が評価され、第42回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞します。

苦難の歴史が演技力の基盤に

芳根京子さんは中学2年生にして、難病ギラン・バレー症候群で1年もの闘病生活を経験しました。この時の、「思うようにならない」歯がゆい経験は、女優・芳根京子さんの貴重な財産になったのではないでしょうか?紛れもなく令和の大女優候補の1人である芳根京子さんを、これからもWATCHしていきます。

 

 

 

 

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