吉瀬美智子は元ヤンキー!追放されたいびき旦那が子供の送り迎えでやばい

福岡ヤンキー時代

吉瀬美智子(きちせみちこ)さん(1975/2/17~)は、本名同じで福岡県朝倉郡杷木町(はきまち)出身、身長は166cmです。朝倉郡杷木町は、福岡県の中でも内陸の方で、大分県に面しているところです。ご自身のTwitterでは、素顔に近い飾らない表情や、仕事仲間への労い、家族愛が満載で、人間性が窺い知れます。

就職氷河期でやむなくモデルデビュー

高校卒業後に地元・福岡のエステサロンや喫茶店でアルバイトをしているときにスカウトされて地元でモデルデビューしました。本当は、化粧品メーカーか百貨店の正社員希望だったようなのですが、選考漏れしたそうです。就職氷河期世代だったんですね。

就職氷河期世代とは、1993年~2005年の時期に就活をしていた世代を呼びます。大卒ですと、1971年~1983年生まれ、高卒ですと、1975年~1987生まれ、中卒ですと、1978年~1990年生まれが対象となります。最終学歴が高等学校の吉瀬美智子さんは、就職氷河期どストライクということになります。「就職氷河期世代」は別名「ロスジェネ世代」とも呼ばれます。

下町ロケットや半沢直樹でゆうめいな池井戸潤さんの小説にも「ロスジェネの逆襲」というのがありましたね。もっとも池井戸潤さんは1963年生まれで就職氷河期とは無縁そうです。

福岡地元モデル当時(オフィスノアールに所属)の芸名は、「小雪」だったそうです。当時から、クールビューティー路線だったことが窺えます。

出典:https://hapiee.com/kichise-michiko

1995年20歳の時、上京してブルーミングエージェンシー・ブラァバに所属し、首都圏での活動をはじめます。

出典:https://xn--n8j3azcmckmhu6nxb0gr698btbwag18eo49cffg.com/2019/12/16/kichise-michiko-yannkee/

勧善懲悪のヤンキーだった

福岡地元モデルの更に以前は、高校時代ヤンキーだったという情報があがっています。弱い者いじめをする悪い奴を退治する、勧善懲悪のヤンキーだったそうです!

出典:https://aikru.com/archives/3036

写真週刊誌に、「ヤンキーというより昭和のスケバン」なんて揶揄されてましたが、カッコいいですよね~。やっぱ不良はカッコいいピーポーの特権ですよ!しょぼかったらなめられてしまいますからね、、、

他にも、吉瀬美智子さんの「金パツでワンレングス」画像なども目撃されています。1990年頃、福岡ではロングスカートがメジャーだったのですが、吉瀬美智子さんはミニスカでいることが多く、とても目立っていたそうです。その30年後の2022年、吉瀬美智子さんは「第18回 クラリーノ美脚大賞2022」で2度目の受賞をしています。

出典:https://mdpr.jp/news/detail/3401371

複雑な家庭環境

もっと遡って、吉瀬美智子さんが小学校1年生の時、母親が家を出て行ってしまうという悲しい過去があったそうです。幸い中学校に上がる前に母親は帰ってきましたが、その軋轢から、吉瀬美智子さんは屈折した思春期を送ったといわれています。

https://twitter.com/kagayakurecipe/status/1226154064116736001?s=20

吉瀬美智子さんが妊娠・出産を経験してから、お母様とは和解し、今では2人で温泉旅行にいくほど仲が良いそうです。吉瀬美智子さんが妊娠中はお母様は上京し泊まり込みで、炊事や洗濯など、吉瀬美智子さんの身の回りの世話をしてくれたそうです。

出典:https://hapiee.com/kichise-michiko

吉瀬美智子さんには2つ年上の「ゆみ」というお姉様がおり、「ゆんこ」と呼んでとても仲が良いそうですが、吉瀬美智子さんとは容姿が似ておらず幼いころから周囲に姉妹だとは思われなかったそうです。成長してからはお姉様は体格も華奢で、吉瀬美智子さんのお下がりを着ることもあったそうです。

約11年の結婚生活

ブレイク前に支えだった夫

吉瀬美智子さんは2010年、約10歳年上で、ラーメン店「光麺」などを経営する(株)KM社長
田中健彦さんと結婚しています。吉瀬美智子さんと田中健彦さんは2005年頃に知り合い、5年越しの交際を経ての結婚でした。

2005年当時、仕事がとても忙しくしかも失恋直後で疲れていた吉瀬美智子さんは、参加したセレブの集まるパーティーでお酒が進んで酔っ払っていたところ、知人の紹介で声をかけたのが田中健彦さんだったそうです。

当時、田中健彦さんの愛車は黒のフェラーリで、身長は180㎝程度、お顔はバナナマンの日村さん似だとか、古田新太さん似だとか言われていました。

2007年に吉瀬美智子さんは、所属事務所「フラーム」に移籍をしています。旧事務所(ブルーミングエージェンシー・ブラァバ)からの移籍を呑む条件が、「今後はモデルの仕事はしない」事だったため、女優業に不安の残る吉瀬美智子さんとしては苦難の時期だったそうです。そんな辛い時期を物心ともに支えてくれたのが、今の旦那・田中健彦さんだったそうです。

第12回ベストマザー賞受賞

吉瀬美智子さんは、結婚3年目となる2013年7月17日、38歳の時に第1子女児を出産、2016年10月26日、41歳の時に第2子女児を出産しています。2019年には第12回ベストマザー賞芸能部門を受賞しました。授賞式の際は長女さんに、「天使のような感じで行ってきて!」と送り出されたそうです。

休日はパパと娘で近代美術展

田中健彦さんが長女さんとお出かけの際は、近代芸術や、インスタレーションの展示会に行くことが多いそうです。田中健彦さんが空間美術の仕事をしていることもあり、仕事上のヒントを見つけにいくようですが、パパのお仕事におとなしくつきそう長女さんも立派です。

お受験は青山学院大学か

吉瀬美智子さんは、篠原涼子さんや井川遥さんとママ友として仲が良く、色々な相談をしているそうです。巷では、『芸能界最強のママ友グループ』と呼ばれているそうです。篠原涼子さん、井川遥さんのお子さんが青山学院なことから、吉瀬美智子さんもお子さんを青山学院に入れるのではないか?といわれています。

離婚の原因は何だったのか?

①旦那の事業が傾いた?

黎明期

田中健彦さんは山口県出身、10代で渡仏・料理修行をし、帰国後23歳で空間プロデュースやコンサルで起業、1994年からは飲食業にも参入していました。田中健彦さん経営する(株)KMの年商は、吉瀬美智子さんと結婚した2010年当時で年商は20億円程度だったそうです。ミシュランの星もちや会員制など、高級志向の展開で成功していました。

一度目の危機

2015年12月2日に、「光麺(池袋西口、六本木、上野店)」を経営する株式会社KMが東京地裁より破産開始決定を受けています。負債総額は債権者45名に対して9億8757万円でした。株式会社KMが破産する前に、田中健彦さんは会社経営を全て後進に譲っております。

同事に、株式会社KMから株式会社マリフィックが分割して設立されており、「光麺(恵比寿店、原宿店)」が継承されております。2018年に田中健彦さんは「光麺」の経営から完全に離脱しました。

第2創業期

2018年に光麺の経営からは離れたのち、田中健彦さん経営する(株)マリフィックは、AKB48や乃木坂46のメンバーを顧客にした美容院(株式会社 MARIS R & SPA)や、焼き鳥店、鍋料理、鮨屋(鮨屋 小野)、芸能事務所やリゾート開発業まで多角経営し、年商は30億以上まで拡張していました。

会社売却の理由

その後、紆余曲折を経て、2020年以降なぜか(株)マリフィックはマザーズ上場のコンサル会社G社に買収されています。田中健彦さんはG社の子会社の雇われ社長に就任し、渋谷のレンタルオフィスに拠点を構えることとなりました。何があったのかわかりませんが、ビジネスって難しいのですね。

②いびき旦那を追放

2018年『巷の噺(テレ東)』で鶴瓶さんに、「夜一緒に寝ているか」と聞かれた吉瀬美智子さんは、「寝ません」「いびきかきません?顔に枕を押し付けたくなるときありません?」と元ヤンキーの片鱗を覗かせる攻撃的な発言をしていました。まさか、いびきが離婚の原因になるということはあるのでしょうか?

まとめ

離婚後も子供の送り迎え

2021年に吉瀬美智子さんは田中健彦さんと離婚をされましたが、田中健彦さんは離婚後も吉瀬美智子さん・娘さんたちと同じマンションに住み、娘さん達の送り迎えをしているそうです。もしかしたら嫌いで別れたのではないのかもしれませんね。事業とか、お金の事とか、何か複雑な大人の事情があるのかもしれませんし。美しく毅然とした吉瀬美智子さんにこれからも注目していきます!

 

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