吉田羊の本名や家族は?元カレは落語や脚本の大御所でやばい?

吉田羊さんの本名は、吉田 羊右子(よしだ ようこ)さんです。身長163㎝、血液型はO型との情報です。芸名を「羊(よう)」としたのは女優となってからです。先輩の勧めにより、「すべての文字がシンメトリー(左右対称)なので運気が上がる」というアドバイスにより、本名から「右子」をとって「羊(よう)」としたそうです。

プロフィール

幼少時(松田聖子のモノマネ)

1974年2月3日、福岡県久留米市で兄2人・姉2人の5人兄弟の末っ子として育ちました。末っ子でしたのでお父様には溺愛されておりました。お父様は久留米荒木キリスト教会(カトリック系)の牧師で、お母様は幼稚園の先生。来客の多い自由な大らかな家庭だったようです。幼い吉田羊さんはお客の前で、松田聖子さんのモノマネをして唄うのが大好きだったそうです。

出典:https://yumeijinhensachi.com/archives/194

思春期(女子高でファンクラブ)

この後吉田羊さんは奇しくも、幼少時にモノマネをして戯れた松田聖子さんの久留米信愛高等学校の後輩となります。吉田羊さんのお父様はカトリック牧師ですが、久留米信愛高等学校はプロテスタント系のミッションスクールとなります。

久留米信愛高等学校3年生の時に体育祭で応援団長を務め、それがきっかけで後輩たちによるファンクラブができたそうです。後輩のファンたちは吉田羊さんの自転車のサドルに頬ずりをしていました。同級生からは高い鼻梁で横顔が新幹線に似ていると、「ひかり」とあだ名を付けられていたそうです。

就活はしないでフリー女優に(1997)

吉田羊さんが女優を志したのは桜美林大学3年生の時です(1997年頃?)。周囲が就活をする中、吉田羊さんは自分は会社勤めに向かないと悩んでいました。そんなとき、雑誌「ぴあ」に、『3ヶ月後に舞台に出演できる女優募集』という広告をみつけます。「渡りに船」と応募した吉田羊さんはなんと準主役に抜擢されます。「稽古なしで即オーディション合格!」のようなノリです。そして、1997年に小劇場で、フリーランスの女優としてデビューするのでした。

出典:https://r40quest.com/%E3%83%99%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%A5%B3%E5%84%AA/11213/

フリーランス卒業は2007

1997年小劇場でのデビュー後、順調に小さい仕事は回ってきておりました。10年が経過した2007年、吉田羊さん33歳の時に、現在のマネージャーの口利きで初めて事務所に所属してフリーランスを卒業します。事務所に所属した吉田羊さんはアルバイトは一切禁止されたため、生活費は事務所からの借金で賄います。自立して借金もすべて完済できたのは7年後の2014年、吉田羊さん40歳のときでした。

地上波デビュー(2007)

2007年4月に川島なお美さん、下條アトムさんと三人芝居「とんでもない女」に出演し、この舞台を見ていた監督・藤尾隆さんに見初められ、同年10月に始まった東海テレビの昼ドラ『愛の迷宮』に準レギュラーとして出演します。

https://twitter.com/02__yoh__03/status/1220700655968350211?s=20

中井貴一さんから大抜擢(2008)

2008年にNHK連続テレビ小説『瞳』に出演し、患者役の西田敏行さんとの絶妙な掛け合いが、中井貴一さんの目に留まります。なんと、中井貴一さんが主演を務めていたドラマ『風のガーデン』(フジテレビ系)に、すでに配役が決定しているのに関わらず、吉田羊さんのために端役がわざわざ作られる形で出演することになります。

出典:https://www.oricon.co.jp/special/49372/

三谷幸喜さんとの出逢い(2008)

更に、中井貴一さんは、自ら出演する三谷幸喜さんの二人芝居「グッドナイト スリイプタイト」へ吉田羊さんを招待し、三谷幸喜さんへ引きあわせます。

これをきっかけとして、三谷幸喜さん率いる劇団「東京サンシャインボーイズ」の15年ぶりの復活公演「returns」にて、全キャストレギュラーの中、たった1人の外部ゲストとして吉田羊さんが起用されます。

その後も三谷幸喜さんが連載する朝日新聞のエッセイに何度も吉田羊さんの名前が挙がり、知名度はうなぎ上りとなります。三谷幸喜さんの生誕50周年を記念した2011年舞台『国民の映画』では、権力に利用され勘違いしてしまう新進女優エルザ・フェーゼンマイヤー役で出演し、3年後の再演にも国家社会主義ドイツ労働者党の宣伝大臣ヨゼフ・ゲッベルスの妻マグダ・ゲッベルス役で出演している。

出典:https://lifenews-media.com/yoshidayou-karesi/

上り詰める吉田羊さん

2009年『20世紀少年 <第2章> 最後の希望』で念願の映画デビューを果たします。

2011年のNHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』、2012年NHK連続テレビ小説『純と愛』、そして2014年フジのドラマ『HERO』で不動の認知度を高めました。

2016年のエランドール新人賞では、過去20年の最年長受賞を果たします。同2016年には「タレントCM起用社数ランキング」で女性部門第1位となり、翌年の推定年収は4億7,700万円でした。

2018年公開の鈴木おさむさん初監督作品『ラブ×ドッグ』では映画単独初主演を務めます。

このように中井貴一さんを通して三谷幸喜さんと出逢ってから、吉田羊さんはすごい勢いで売れてきていることがわかります。

私生活は

結婚願望はある?

2008年に梅沢富美男さんから「ズバッと聞きます」の中で、「何で結婚しないんだい?」の問いに、「結婚しない訳じゃないです、たまたまいましてないだけで。」とズバッと答えたそうです。そりゃ、そうだ。吉田羊さんのご両親は80近くなってもめちゃ仲いいらしく、そういうご両親をお持ちなので、結婚願望は普通にあるみたいです。

芝居を選んで別れた元カレ

2008年「ズバッと聞きます」の中で過去の恋バナが少し出ましたが、吉田羊さんにかつて、結婚してもいいと思える恋人が1人おり、互いの両親にも挨拶を済ませていたとか。ですが、「お芝居を優先したい。」とのことで、そのタイミングでは結婚はしなかったそうです。現在役者として成功を収めている吉田羊さんですから、これからは結婚のチャンスがあるのかもしれませんね!

春風亭昇太さんとの真相は

2019年6月、落語家の春風亭昇太さんが電撃的に結婚を発表しました。吉田羊さんは春風亭昇太さんと親しく、10年来の飲み友だったようですが、吉田羊さんはこの結婚に対して、具体的なコメントは出していません。春風亭昇太さんの奥様は19歳年下で青山ケンネルの取締役、しかも元宝塚だそうです。

出典:https://sirabee.com/2019/07/09/20162114923/

かつて、昇太さんの自宅近くのスーパーで、お弟子に混じって買い出しをする吉田羊さんの姿がしばしば見かけられていました。また、2015年のバラエティー番組では、吉田羊さんがが「50歳になってもひとりだったら昇太さんがもらってくれる」と話しており、相当親密な仲のようでした。でも、ただの友達だったんじゃないでしょうか、あまりにもオープンすぎるので。

出典:https://www.sanspo.com/article/20230504-B3FYQCPPTZPPTHQ4WYS54JXFLE/

三谷幸喜さんとの真相は

2008年に中井貴一さんを通して三谷幸喜さんと出逢ってから、吉田羊さんのブレイクが加速度を増したのは前述の通りです。そこで、2009年頃、吉田羊さんと三谷幸喜さんの熱愛が噂されました。更に2011年5月に日刊ゲンダイが『三谷幸喜さんと小林聡美さんの離婚原因は“女優Yとの不倫である”』と報道し、吉田羊さんの事ではないか?と当時は思われました。

2013年に三谷幸喜さんは元女優のyumaさんと結婚し、三谷幸喜さんと小林聡美さんの離婚原因はyumaさんのことだったと今は考えられています。つまり、吉田羊さんと三谷幸喜さんは「シロ」だったということですね。

出典:https://tsuru.top/%E4%B8%89%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%96%9C/

yumaさんは三谷幸喜さんの19歳年下だそうで、1998年に辻仁成さんの初監督作品「千年旅人」のヒロインオーディションで応募者1200人から抜擢され女優デビューしています。

まとめ

女優としては遅咲きともいえる吉田羊さんですが、下積み期間が長い分蓄積した知見も大きく、中井貴一さんや三谷幸喜さんなど様々な方に、出逢うべくして出逢ったのではないかと思います。

糟糠の事務所からスピンアウト

2018年末には、約12年間売れない時代から応援してくれた事務所ORANKU(おらんく)との契約を終了して新天地を歩み始めています。吉田羊さんにこれからも注目していきます!!

 

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)